夜散歩へ行く。
歩きながら、今日が平日なことに気づいた。歩いていると、帰宅中のサラリーマンとすれ違うからだ。
最近、いろんな働く人を見ている。働く人はどこにでもいて、私は静かにその姿を見る。朝、散歩終わりにドラッグストアへ寄ってトイレットペーパーを買った。店員さんは当たり前のように丁寧に接客をしていて、私はすごいなと思いながら店を出た。
働く人で印象に残っている姿がある。夜。とある家の駐車場スペースの床にセメントをいれて均している左官屋さんの姿を見た。ひとりで、誰もいないところに、小さな電灯がスポットライトのようにあたっている。左官屋さんは慣れた手つきで背中を屈めて床を塗っている。その背中を見て、まるで踊っているみたいで、とてもうつくしく、しばし見惚れてしまった。働く人の、うつくしさ、というものを初めて感じた瞬間だった。
とはいえ、それは客観的な視点での話で、実際に働くことのしんどさ、苦しさ、辛さ、をわかっているし(というか私にとって労働はそうだった)、だからいまだに自分はこうして働かずにふらふらしている。働く人たちを見つめながら、この人たちのように自分はまた働けるのだろうかと思いながら。
社会から離れて三ヶ月目。夜散歩しながら久しぶりに社会にいない自分のことを考えた。考えてもどうにもならないので行動するしかないのだけど、何で働くかが私にはとても大事なことなので、考える。ワンルームの狭い部屋に帰って、ぼんやりしていると社会から切り離されていることを実感する。まるでこの狭い部屋が孤島のように感じる。ひとりきりの島で、私はずっとぼんやりしている。遠い、沿岸の先で働く人たちを見つめながら。