朝8時に目が覚める。ちゃんと朝に起きられるようになってきた(かもしれない)。起きれたついでに近くの河川敷まで散歩。
昨年、無職だった。無職で何もすることがないから朝起きたら河川敷を歩いていた。そのときは今よりもずっと孤独で不安だった。今より規則的に生活をして朝日を浴びても心の芯がふにゃふにゃで、細い木の枝のように今にも折れそうな感じだった。そのときはオーバーザサンというPodcastが支えで、ベンチに座って川をぼんやり眺めながら聴いていた。無職で、行き先もなくて、元気もなくて、何もなかった。人と会うのも難しくて、でも独りは怖いからPodcastを聴いて他人の声に安心を求めていた。
今も、ほとんど無職に近い状態で同じように河川敷を歩いている。違うのは昨年ほど、不安がないこと。
そう思えるようになったのは昨年から今年にかけてずっと小さな行動を積み重ねてきたからだと思う。昨年はたくさんの不安の種があった。何も行動できなくて不安な種を抱えていたけれど、抱えながら一つずつこなしていった。一番大きかったのは転職活動と創作活動。面接が怖くて怖くてしかたなかったけど、無職からどうにかしないといけなかったので、たくさんの会社に面接を受けに行った。そのおかげか今はもう怖くない。転職してからは文学フリマに出て本を出したりもして、自分の抱えていた不安に行動で向き合った。行動したことが、結果につながったりそうでなかったりもあったけど、確実に経験値として残っているから不安が減ったように思える。
ジェーン・スー、桜林直子『過去の握力 未来の浮力』の、再設定・ライツ・カメラ・アクションの章を読んで、今朝のことを思い出していた。昨年から今年にかけて小さなやってみるを積み重ねたから、今わりと大丈夫だと思えている。(休職中だけど)
いつだって、設定は変えられる。ライツ・カメラ・アクション。覚えておきたい。
追記
真面目な日記になったけど心境の変化はいつか忘れるので書いておくことにした
セブンイレブンの4個入りの焼きプリンがコスパ良くておいしいってことも忘れたくない