ヤマシタトモコ『違国日記』を読み返す。
読み返すたびにいつも考えるのは、孤独の風景について。人には決して分かり合えないその人だけの孤独があって、登場人物ごとに描く孤独の風景が違う。主人公の朝は砂漠、友人のえみりは海。その表現が、とても好きだ。そしていつも、自分の孤独の風景を想像する。くさはら。晴天の、けれど厚い雲がいくつも流れているだだっ広い草原。それが私の孤独の風景だと思う。
先日の濱田英明さんの展示『時間の面影』に、草原の映像が展示されていた。私の想像していた孤独がそこに確かにあって、それはまさしく孤独の面影だった。
主人公の朝みたく、それを分かち合えないことをさみしいと思ったこともあるけれど、誰とも分かち合えなくていいのだと今は思う。たった独りになれる場所があることは私が何かを表現するために必要な場所だ。
日課の夜の散歩へ行く。
遠くに見えるいくつもの家の灯りがきれいで、それを眺めているときも、やはり独りだと思うのだった。