まだねむれない

日々のことと小説

2024.10.16(水)HAPPYEND

眠れないまま、また朝を迎えた。朝が来たから安心して目を瞑る。悪夢を見る。前職と現職の人たちが私を責める夢。働くことについて、自分は思ったより怖いのかもしれない。

昼の映画の時間をスルーして、洗濯物をする。夕方の映画の時間には間に合うように家を出る。

16時。HAPPY ENDを観る。今より少しだけ未来の高校生たちの話。監視社会も、移民の子たちも、空に映される電光掲示板の文字も、デモも、度重なる地震も、もうそこまで足音が近づいている。今よりも、不安定な世界で、高校生たちはそれでも変わらずに友情を続けることはできるのか。思えば、高校卒業、大学卒業とともに疎遠になった友だちはたくさんいる。仲違いしたわけでもなく、ただ自然とそうなった。観終わったあと、タイトルは幸せな終わりではなく、幸せの終わりなのだろうなと思った。今までのように同じ価値観を、考えを持ったまま友情を続けることは難しい。生きている限り、変わっていくものはたくさんある。だけど変わっても形が違っても続く友情はある。それがあのラストだったのかなと思う。世界が変わる、人も変わっていく。

 

映画を観ると、現実の世界の解像度が鮮明になる気がする。見覚えのある景色が、違う色をみせる。そういう気持ちにさせてくれる映画はいい映画だと思う。

 

もう一本、映画を観たくなって、休憩がてら晩御飯を食べに行く。地元では有名な焼きそば屋さん。私の焼きそばを作ってくれたのは、中東かアジアの海外の人だった。焼きそばはとてもおいしかった。さっきの映画を思い出す。もうコンビニも日本人が働いている方が少ないくらい、海外の人が多い。これから日本はもっと移民の人が増えるだろうと思う。景色が変わっていく。それがいいことなのか悪いことなのか、まだわからない。

 

20時。ナミビアの砂漠を観る。カナ役の女優さんの演技がとてもよかった。出てくる男たちは総じて気持ち悪かった。彼女が名前のつかない精神病になって、先生に「病名を教えて欲しい、自分のことを知りたいので」と言ったとき、その気持ちがよくわかった。私も適応障害とは言われているがもらっている薬は適応障害で出されるものではない。多分本当は別の病名があるはずで、だけど先生は詳しくは教えてくれない。映画の通り、複合的なものだからというのが先生の見解で、だけど私も初めて問診を受けたとき、正しい名前が知りたかった。自分は気が狂ったわけじゃないと証明してほしかった。カナはきっと、これからも怒り狂うだろう。いつか、そのことを許せるときがきて欲しい。どうか男だけに縋らないで、自分の足で立ってほしい、と思った。

 

私は今、また休職をしていて、また仕事を失った。これから仕事を探さないといけない。まだ自分の足で立てるだろうか。カナよりは歳をとっているので、少しは強かになったはずだ。昔ほど夢みがちではなくなったし、でも何もかもに絶望するほどでもなくなった。なんとかやっていくをやる。

 

どちらの映画もとてもよかった。邦画特有の文学的な表現がとても好きだと思う。

 

今日は夜にちゃんと寝たい。