まだねむれない

日々のことと小説

顔のない裸婦画(小説)

これは、とある女の話です。

美術館に、ギャラリーに、カフェに、そして誰かの家に、その女はいます。女はさまざまな場所で裸婦画としてそこにいました。女はヌードモデルでした。

女は自分のからだがとても好きでした。白く、すくよかな肌はたくさんの人を魅了し、しかし誰にも触れられないものとして存在し、たくさんの人に描かれました。

女の絵は描く人によって姿を変え、肉付きのよい女になったかと思えば、背骨が浮き出るようなそれでいてどこか彫刻めいた細身のからだにもなりました。どんな絵になっても女は女であると誰にでもわかりました。

だから街を歩けば女はすぐに絵のモデルだと気付かれ声をかけられるようになりました。女はそれをとても嫌がりました。女は絵だけの存在でいたかったのです。人である時の女は絵の女とは違うので放っておいて欲しかった。

絵がどこかへ展示されるたび女は有名になっていくので、もう誰にも存在を知られたくありませんでした。けれど自分のからだを描かれることは好きだったので、女はからだを手放すことにしました。

皆が絶賛するのは女のからだだったので、では顔は描かれる必要がないだろうとそれだけは女のものにすることにしました。女は自分の顔もとても好きでした。誰もその女の顔を好きだと言ってはくれなくても。女を描いた数々の絵から顔が消えました。そうして、女は自由になったのです。

 


今も、どこかの美術館に、ギャラリーに、カフェに、そして誰かの家に、その女はいます。

顔のない、裸婦画として。

2024.11.22(金)うすいぬいぐるみ

金子佳代さんの展示を観に、住吉大社へ。

金子佳代個展『USUINUIGURUMI』。ドローイングされた絵をラミネートして少し羊綿を入れた、うすいぬいぐるみたちが展示されていた。ファストフードのドリンクを模したぬいぐるみに、惑星のぬいぐるみ、絵画のぬいぐるみ…ちょっと懐かしくてうっすらこわい、でもかわいい展示だった。展示場所のedaneには数年ぶりに来た。知らないと辿り着けないような不思議なギャラリー。いつもいい展示をしているなと思う。住吉公園を通ってきたら、なんかおしゃれな飲食店が公園内に出来ていてびっくりした。住吉大社にお参りして、また公園に戻ってぼーっとして、家に帰った。いい天気だった。

 

f:id:mayonakabooks:20241122195002j:image

金子さんの展示で買ったコインケースを眺める。コインケースの中には飴を模したガラス製の飴が何個か入っている。グッズというよりも持ち運べるアート作品という感じで、とても気に入っている。

2024.11.21(木)救出の距離

宝石の国の最終巻を買いに外へ出る。

限定版を無事にゲットして、図書館へ。

昨日返却棚に置いてあった本が今日も同じところにあったので手に取る。 サマンタ・シュウェブリン『救出の距離』。海外の小説で、表紙のデザインと文字が海外小説にしては大きくて読みやすそうで気になっていた。

意識のない主人公アマンダとその意識に介入している男の子ダビが、アマンダのなかに入り込んだ『虫』を記憶を辿って探すスパニッシュ・ホラー。 アマンダとダビの会話で話が進んでいくのでとても読みやすく、オチに辿り着くまでどうなるのかハラハラさせてくる感じがスピード感もあって面白かった。が、これを読んだとき、ホラーだと思っていなかったので(ミステリーだと思ってた)終わり方にはかなり肩透かしを食らった。訳者あとがきでホラーであると読んでから、こういう終わり方ってある意味ホラーらしいのかもなぁと思った。(伏線かと思ったところが回収されずに投げっぱなしで終わるところとか※つまり怪異のせい)じわじわ気味悪い系。ホラーっぽく感じなかったのは、文章が軽やかだったからなのかもしれない。あと、この物語の舞台の背景を知っているか否かでも怖いと感じるかそうでないかも関係ありそうだなと思った。ただ文章表現が結構好きな感じで装丁も綺麗だし、買うのもありだな〜と思って裏を見たら3000円でびっくりした。今は無理だなと思いつつ図書館で読めるありがたみを感じた。(私はオチが面白くなくても表現が好きだったり、つまりどういうこと?ってなって読み返したくなると本を買ってしまうところがある。)

本を3冊借りて帰る。

 

家に帰って宝石の国の最終巻を読む。最終話は前に公式配信で読んでいたので内容は知っているけど、改めて読み直すと本当にすごい壮大な、フォスフォフィライトという個の物語だった。限定版の詩集も良かった。何より完結してくれてありがとうという気持ち。

 

最近、お酒の代わりで飲んでいるオールフリーにハマっている。

2024.11.20(水)そして、バトンは渡された

昼から図書館へ。

一冊は読み切って帰ると決めて、今日は瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』を手に取った。前々から気になっていたけれど、なぜか読んでいなかった作品。

主人公の優子には三人の父親と二人の母親がいる。優子の現在と過去を行ったり来たりしながら語られていく家族譚。それぞれのキャラがしっかりたってて、読後はとてもじーんとしてしまった。最後を読んだら一番最初のページを読み返したなる。図書館じゃなかったら泣いてた。構成もうまくて、読みやすいし、エンタメ力を感じた。さすが本屋大賞

 

本を読み終わって、予約していた婦人科へ。

不正出血があったので診てもらったがホルモンの乱れとのことだった。念のため婦人科へは行くが、内診があるたび毎度憂鬱になる。

 

友だちから同窓会の連絡。大学生以来ぶりの同窓会。友達が行くので行くことになった。痩せなければならない。

 

 

 

 

2024.11.19(火)鳴り響く限り

浅い眠りで、何度も目が覚める。かけている布団が薄いせいかもしれない。分厚い布団だとその重さでよく眠れるらしいとどこかでみた。買い替えを少し考える。

朝は軽くゆで卵とコーヒー。キッチンに溜まっていた洗い物を済ませて、本を読む。

昼は玉ねぎが2玉あったので、玉ねぎスープを作った。水と薄く切った玉ねぎを入れて強火にかける。沸騰したら弱火で30分ほど煮込む。塩を適量入れる。その間にごはんを炊く。待っている間、玉ねぎのいい匂いが部屋中に漂っていた。器によそって、ブラックペッパーをかける。ごはんには目玉焼きをのせて食べた。煮込まれて透明になった玉ねぎのスープは、それだけで十分な甘さが出て、とてもおいしい。

 

15時ごろ大阪へ。

妹とYUKIのライブ。が、肝心のファンである妹が二日酔いでダウン。一人でライブへ。

ステージセットも映像も歌も世界観がほんとうにかわいくて、なによりYUKIの歌の力に圧倒された2時間。踊りまくって楽しかった。いつまでも輝いていてほしい。

 

今朝、谷川俊太郎さんが亡くなったことを知った。いつも教科書にいて、たぶん詩をはじめて知ったきっかけも谷川さんだったと思う。谷川さんの詩は浄土という詩が好きだ。でも今日はこの詩を書いておく。

『たいようも つきも ほしも かわらない でもおとこのこは おじいさんになって まどぎわのいすにすわっている あさ』谷川俊太郎 バウムクーヘンよりジイジ(本文一部抜粋)

 

2024.11.18(月)yesが見つからない

面接の日。外に出ると冬の入り口みたいな寒さだった。何事もなく面接を終える。会社に何か問題があるわけではなく、私自身の問題で働くのかどうかに迷う。これは一発占ってもらうかと、占いへ行った。小説を書いていると言うと本好きな占い師がひたすら本の話をし、占いはそこそこ(ほんとうに微妙な感じ)に終わった。

 

家に帰って、自分でも占ってみようと思ってオラクルカードを見返していたらカードが一枚ないことに気がついた。YESというカード。どこかにやった記憶が全くなく、部屋中を探したが見つからなかった。このタイミングでYESだけ見つからない。なんとなく、それが答えな気がした。

 

まだしばらく、冬眠が続くらしい。

YESが見つかるときは来るだろうか。

 

 

2024.11.17(日)月が見えない

久しぶりの二日酔い、始発で家に帰った。

そういう日に限って朝日がとてもきれいだった。35歳までにこの無茶な飲み方を辞めたい。いつも楽しくて調子に乗ってしまうのでいけない。

ベッドで寝落ちて、起きて、だらだらして、選挙へ行った。紙に名前を書くとき、とても複雑な思いだった。

開票速報を見て、なんともいえない気持ちがあった。SNSでは手放しに喜ぶ声もあれば嘆く声もあり、ますます情報の信憑性、それに左右されてしまうことについてを考えた。

とても眠い。明日は最終面接がある。働くことにはまだ、やっぱり迷いがある。