母がこっちに遊びに来た。
万博公園で蚤の市がやっていたので行った。(滞在時間2時間)
三宮へ移動して妹とYUKIのライブへ。そのあと、中華を食べて、コーヒーを飲んで解散。移動距離と予定の詰め込みすぎでへとへと。
母は明日も蚤の市へ行くと言っていた。もちろん私は一緒に同行することになっている。起きれるか不安。
アットザベンチという映画を観に、映画館へ。
公園跡地に残された一つのベンチで繰り広げられる5編の群像劇。ラブストーリー、コメディ、SF、ドラマがショートムービーにぎゅっと詰まってて1時間ちょっとだけど意外と見応えのある邦画らしい邦画って感じだった。5編ある中でそれぞれ違う監督が脚本を使ってるのも面白く作家性が出てたような気がする。特にep2が好きな感じだった。取るに足らないだけど気になる些細な嫌なところを回らない寿司に例えているのがシュールでだけど地味にわかるな〜って思った。ep3の全力姉妹喧嘩も演技がよくて好きだった。
映画観終わって、カフェでindeedに履歴書もろもろ登録する。働く方向性が定まったので(あと覚悟も決まった)明日からガンガン応募する。年内内定とって、年明けから働ければまぁよし、働けなくともよし。とかく動く。
最近、順調に(健康的に)体重が落ちてきた。
2023年の文藝冬号を図書館で借りていたので、返す前にパラパラとめくる。
文藝賞受賞作 小泉綾子『無敵の犬の夜』を読んだ。田舎の中学生の界が、兄貴分の橘さんのために無茶苦茶やらかしていく話。田舎のヤンキー未満な界の世間知らずさが痛々しく、だからこその無茶をスピード感ある文章で駆け抜けていく。読み心地がなぜか妙に清々しい小説だった。界が、東京でとある人を殺す計画を実行するに至った(結局不発に終わる、それもみっともない感じで)要因の橘さんは、憧れに値するほど大したことのないイキッた田舎のヤンキーだったけれど、第二次性徴期の界が、無意識に橘さんに憧れだけじゃなくて恋慕もある(かもしれない)からこその、無茶をやるところの対しての痛々しいほどの一途さを感じた。同級生の女の子に興味はないけれどおっぱいにはどこか神聖さを感じているその純粋性が、かわいく、危うげで、どうなるのかグイグイ読まされた。ラストシーンはまさにタイトル回収、そこで終わるのか、という先が気になる終わり方。ラストに至る展開が急な感じもしたけれど、このラストシーン書きたかったんだろうな、みたいな熱を感じたので読後感はよかった。
夜散歩へ。歩いているうちになんか妙にやる気がでてきて、いろいろ計画を立てた。12月はたくさん作品をアップできるようにしたい。その合間に転職活動もすることにした。結局、考えても仕方ないことで、動くことでしか物事は解決しないのだから。夜の空気が清々しくて、無敵の犬の夜のラストを思い出した。
どうせまた病んだりするんだろうけど無敵になりたい。無敵に走って、年末駆け抜けてやりたい。
観たい映画があったけど、うまく動けなくて今日は行くのをやめた。
会社の携帯でチャットを見たら、会社都合で大量に人が解雇(会社都合退職)されていた。横浜出張の件の時から思ってたけど、やっぱこの会社もうダメなんだなと思った。一年しかいなかったので別に何も感じないけど、無茶苦茶な会社に入って経歴に傷がついたことだけ、運が悪かった。(会社って入ってみないとほんとにわからない。面接なんて意味あるのかと思う)
人事から休職についての連絡があったけどあした返信することにして無視した。今日はもう会社のチャットを見たくなかった。
急に調子が悪くなって、昼寝する。
夕方、支払いしないといけないものがあったのでコンビニに行くついでにスーパーへ寄って食料を買う。
こんな住宅地のコンビニですら店員はインド系の人に代わっていて、その人はとても日本語が上手で接客も丁寧だった。異国の地で難しいだろう日本語を学んで働くこと、どう思っているのか知りたかった。
寒いせいと今朝のチャットせいで、また働くことについて考えてしまった。考えない方がいい、もうどこでもいいから応募して働け、と頭の中で別の私が言う。まだ未来を決定づけたくなくて、こうやって休職して、のらくらして、未来を先延ばしにしている。貯金が減るたびに、憂鬱になる。働かなきゃ、と言う気持ちが増えてくる。嫌だと思う。どうせまた、ダメになるとか、そんなマイナスなことを考えるのは全て寒いせいだ。冬のせいだ、そう思って、さっさと布団をかぶって目を瞑る。何も考えなくていいように。
夜散歩へ行く。
歩きながら、今日が平日なことに気づいた。歩いていると、帰宅中のサラリーマンとすれ違うからだ。
最近、いろんな働く人を見ている。働く人はどこにでもいて、私は静かにその姿を見る。朝、散歩終わりにドラッグストアへ寄ってトイレットペーパーを買った。店員さんは当たり前のように丁寧に接客をしていて、私はすごいなと思いながら店を出た。
働く人で印象に残っている姿がある。夜。とある家の駐車場スペースの床にセメントをいれて均している左官屋さんの姿を見た。ひとりで、誰もいないところに、小さな電灯がスポットライトのようにあたっている。左官屋さんは慣れた手つきで背中を屈めて床を塗っている。その背中を見て、まるで踊っているみたいで、とてもうつくしく、しばし見惚れてしまった。働く人の、うつくしさ、というものを初めて感じた瞬間だった。
とはいえ、それは客観的な視点での話で、実際に働くことのしんどさ、苦しさ、辛さ、をわかっているし(というか私にとって労働はそうだった)、だからいまだに自分はこうして働かずにふらふらしている。働く人たちを見つめながら、この人たちのように自分はまた働けるのだろうかと思いながら。
社会から離れて三ヶ月目。夜散歩しながら久しぶりに社会にいない自分のことを考えた。考えてもどうにもならないので行動するしかないのだけど、何で働くかが私にはとても大事なことなので、考える。ワンルームの狭い部屋に帰って、ぼんやりしていると社会から切り離されていることを実感する。まるでこの狭い部屋が孤島のように感じる。ひとりきりの島で、私はずっとぼんやりしている。遠い、沿岸の先で働く人たちを見つめながら。